ンダ部

これまでのンダ部2021

#01「いのちの自然を考える〜終末期の<いのち>を看る・看取る人びとと」

案内人:
占部 まり(うらべ まり) /内科医、日本メメント・モリ協会代表理事
尾山 直子(おやま なおこ) /訪問看護師、写真家

訪問看護師で写真家でもある尾山直子さんからは、日々向き合う看取りの現場から、病院ではなく家で迎えるいのちの旅立ちについて、エイスケさんのチャーミングなドキュメンタリーと併せて伝えていただきました。近年では、8割以上の方々が病室で亡くなります。誰もが自然に老いて死んでゆく。暮らしの中でそのことを命を賭して伝えることのできる最後の時間を、誰かと共に過ごす、それが在宅で逝くことの大切な価値かもしれません。 美しいプレゼンテーションにも感動した、と多くの声が寄せられました。

「社会的共通資本」で著名な宇沢弘文さんを父として看取った内科医の占部まりさんは、その経験から死を「想う」ことについてお話下さいました。医師として多くのいのちを看取ってきたなかで、「死」について語ることは「生きる」ことにも良い影響を与える側面がある、と海外の調査事例にも触れながら、「死」について語らなすぎる私たちの日常を振り返ります。また、多くの参加者からコメントが寄せられたのは「医療はサービスでなく信任である」という言葉でした。いのちに係ることを「信じて任せる」「任せてもらう」ことこそが医療の本質的な意義なのだと。

人は最期まで聴覚を維持するといいます。死について語りはじめるとき、「最期にどんな音を聴きたいですか?」そんな会話からはじめてみてはどうでしょう?と占部さんは締めくくられました。

2021年4月14日開催


#02「アニメと漫画と映画と死生観」

案内人:
奥平 祥子(おくだいら しょうこ)/石草流(せきそうりゅう)いけ花 家元後継
小林 泰紘(こばやし やすひろ)/一般社団法人 Ecological Memes 共同代表・株式会社BIOTOPE 共創パートナー

「たそがれどき(誰そ彼時)」とは、昼と夜の境界線で昼でもあり夜でもある時間。世の中の輪郭がぼやける時、目の前にいる人が良く見知った人であっても誰だか分からず、異界の住人に見える瞬間があります。日本人は古来より、生と死が分かれているものではなく、そのふたつの世界には往来があると考えてきました。日本書紀から21世紀のアニメにまで、ずっと語り継がれている生と死のあいだの物語。第二回は私たちの身近なアニメや漫画などサブカルチャーから「私たちの死生観」の輪郭を探ります。

ゲストに華道家・奥平祥子さん、Ecological memesを主宰する小林泰紘さん、若き賢人お二人を迎え、私たちに身近な作品に繰り返される<死>と<生>の物語について、縦横無尽に語っていただきました。自然界では誰かの<死>は誰かの<生>につながるエコシステムができているけれど、人だけがそこに加わることができない。その不自然さを問い、守るべきいのちの優先順位に迷い、そのために受け止めがたい不条理を不条理のまま受け止める勇気や度量が描かれた作品たちの、なんと示唆に富んだこと!お二人の深い読解力に舌を巻きながら、知的で楽しい時間を過ごすことができました。

2021年5月19日開催


#03「いのちと暦<夏>」

案内人:
高月美樹(たかつき みき)/LUNAWORKS代表。和暦研究家。
須藤章(すどうあきら)/すどう農園代表 「さとやま農学校」主宰

和暦研究家の高月 美樹さんが編む『和暦日々是好日』はこれまで18年多くの人に愛されてきた手帳。そこに掲載されているたくさんの小さき生きものの知識は、高月さんが自然農の田んぼをやるようになってから深まったそうです。そうして深まった知識は「うんちく」として伝えたいのではなく、この手帳を使うお一人おひとりが、自分で自然の理に気づき、<いのち>を実感するためのきっかけを提供したいためだと繰り返しておられました。「自分で気づいて問いを立て、自分で答えを求めていかないと」「西暦というマニュアルを捨てて、和暦というマニュアルに乗り換えたのでは意味がないんです」

相模原で「さとやま農学校」を主宰する須藤 章さんは、「農業を教えたいのではなくて「農的な」暮らしのための知恵を教えているといいます。須藤さんも高月さんの話に共振しながら、「明日は(今日は)第二十七候(うめのみきばむ)です、毎年予想はしているけれど、たしかに梅が黄ばんでいるよね、例年と較べてどうだろうか、と自分の感覚を確かめる。3年暦5年暦をつけるのも良いね」と話されていました。

須藤さんが残された問い。それは「生きようとすることのあさましさ」について。思えば生態系は常に「不足」を満たすようにしてつながっています。生きる、それはその「足りなさ」を満たそうとするあさましさであり、それはいのちにとって、本質的な欲求であることを、同時に「あさましい」と表現する言葉を持っていることの深さにも改めて気づくのでした。

2021年6月15日開催


#04「ほんたうのいのち―鹿踊りを巡る旅」

案内人:津田 直(つだ なお)/写真家

東北復興の一つの試みとして開催された「Reborn-Art Festival 2019」で、津田さんは「やがて、鹿は人となる/やがて、人は鹿となる」を発表しました。それから2年、東北を巡るなかで鹿踊りに出逢い、宮沢賢治の童話に導かれ、津田さんがどんな旅を続けたのか、そしてどんなところに行き着いたのか。津田さんの語る「ほんたうのいのち」とは。

「あなたのすきとほつた ほんたうのいのちと はなしがしたいのです」

この回では、写真家、津田直さんの著作「やがて鹿は人となる/やがて、鹿は人となる」を、津田さんご自身の朗読で聞く、得難い機会をいただきました。冒頭の言葉と、そして最後の1行の間には、津田さんがこの2年間、東北を旅するなかで出逢った3つのエピソードが織り込まれています。

角一つ一つを見て、その時屠した鹿のことを語る食猟師のこと。宮沢賢治の童話「鹿踊りのはじまり」。冒頭の1行は、賢治の言葉に呼応しています。そして、津波で海にのまれたいのちに向けた供養の鹿踊り。そこには再び人々が踊りを取り戻すまでの奇跡のような顛末がありました。心に響く美しい写真と共に一つの冊子に編まれています。表紙の芒の海原は、まさに「鹿踊りのはじまり」の主人公嘉十が見た芒の野原そのもののよう。須山悠里さんの手による、装丁も素晴らしい。

2021年7月17日開催


#05 死者を迎え、送る。「お盆」

富川 岳 (とみかわ がく)/ローカルプロデューサー、
株式会社富川屋 代表、Iwate, the Last Frontier 共同代表
石倉 敏明(いしくら としあき)/人類学者・神話学者
秋田公立美術大学美術学部アーツ&ルーツ専攻准教授

2021年8月17日に予定していましたが、コロナで一旦中止となり、
一年を経て、2022年8月22日に開催いたしました


#06土地の物語りを編む、祭り。〜暗闇と火で繋がる彼岸

案内人:
大原 学(おおはら まなぶ)/一般社団法人マツリズム 代表理事・マツリテーター
出濱 義人(ではま よしと)/合同会社life in LIFE 代表

9月のンダ部は<祭り>をテーマにお送りしました。何故私たちには「ハレ」が必要で、それを集団で共有することにどんな意味があるのか。山に車と書く山車(だし)を引いたり、暗闇で火を囲むように踊ったりと、自然と共にある祭りの姿も興味深く感じます。そして令和の現在にも祭りが在り続けているということは、私たちが死者を含めた目に見えない存在と交流する死生観を持ち続け暮らしているということに他なりません。

 ここ数年大原さんが参加されている岩手県奥州市で行われる「黒石寺蘇民祭」の様子

この回では、一般社団法人マツリズム代表 大原学さんをお呼びして、全国で行われている祭りの中でも土地の物語りを強く感じたいくつかの祭りについて、実際参加された経験をもとにお話しいただきました。彼らはいったいどのような想いで、どのように物語りを紡いでいるのか。聞き手に「在り方探究家」の出濱義人さんを迎えて、その精神的、身体的な祭り体験について掘り下げて考える時間となりました。オンライン越しに、参加者と「じゃっそー!」の掛け声を交わしたことも楽しかった!

2021年9月22日開催


#07あの日の風景について話す、書く

案内人:
川内有緒(かわうちありお)/ノンフィクション作家
川村庸子(かわむらようこ)/編集者

「ンダ部 on WEB #07」は「あの日の風景について話す、書く」をテーマに配信しました。ゲストは新著『目の見えない白鳥さんとアートを見に行く』で注目を集めているノンフィクション作家の川内有緒さんと編集者の川村庸子さん。川内さんは『晴れたら空に骨まいて(講談社文庫)』で、川村さんは「パパが死んだ(庭しんぶん)」という連載コラムで、ご自身の父親の死と思い出を綴られています。

お話を進める中で「本来、生と死の物語はどこにでもあるものなのに、現代ではそれを日常の中で感じたり、語り合ったりすることからどんどん遠のいてしまってますね」「私たちはもっとパーソナルな体験を書き、語ってもいいのではないかしら」そんなことが語られ、そして、「みなさんから原稿を募集してみたい!」ということになりました。 「数年後には忘れてしまいそうな、でもちょっと誰かに聞いてもらいたい話。あなたの『あの日の風景』を文字にしてお寄せください」という呼びかけに、13篇もの質の高いエッセイが寄せられました。

当日は、女性二人、気軽なおしゃべりのような楽しい雰囲気で、寄せられた原稿への共感や思いがけない発見などなどを語り合い、合間にお二人の大好きな本たちを紹介。原稿と本のエピソードとを行きつ戻りつしながら、あっという間にお話の時間が過ぎていきました。本編の後に毎回行う「放課後倶楽部」では、川村さんからの投げかけで、川内さんの執筆の秘密なども明かされ、少し得した気分でした。

※ 素敵な原稿をご応募いただいた皆様、ありがとうございました。  作品はこちらからご覧になれます。 https://hayachinenda.org/news/004130.html
※「個人の小さな声が書かれた本がとても好き」というお二人が、トークの中で紹介くださった本たち。
ポール・オースター著『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』/ミランダ・ジュライ著『あなたを選んでくれるもの』 /上間陽子著『海をあげる』 /岸雅彦『断片的なものの社会学』 /キム・ハナ、ファンソヌ著『女ふたり、暮らしています。』

2021年10月29日開催


#08「われわれは何と結ばれて生命を存在させているのか」

内山 節 (うちやま たかし)哲学者

2周年記念のンダ部は、哲学者の内山節さんを迎えて、<いのち>の存在について深く考え、思いを巡らすことが出来ました。

私の命はどこに在るのでしょうか。私の体の中にあるのでしょうか。私の命は私だけのものなのでしょうか。私の命が終わるとき、私の生もすべて終わってしまうのでしょうか。ハヤチネンダ の活動はこうした問いかけから始まりました。それは、現代に生きる私たちの命がどこか不安で孤独なもののように思えたからです。

日本人はこれまで<いのち>をどのように捉えてきたのか。「成仏」など日本の仏教的な生命観は、仏教が伝来する前からあった土着の自然観と融合したものだそうです。本来仏教では、修行したものだけが「仏」になれるはずであるのに、いつしか、日本ではすべての命が亡くなると「成仏」できることになった。自然と人間のいのちの平等感は日本らしい生命観の特徴のひとつであるといいます。

また、日本では生きものではないもの、たとえば、山とか、岩とか、水とか、川とか、土にも霊性(命の奥にある本質的なもの)を認めてきたので、その関係性のなかで存在を互いに感じあう、非言語的コミュニケーション(霊的コミュニケーション)が長く存在してきたことにも触れました。今現代になってだんだんそれが失われてきたために、関係性の網を見失いやすいのだと。

内山さんは、わたしたちの命は、個体の中ではなくて、関係し合う世界の中にある、自然との関係の中に、人々との関係の中にも自分の命がある、と説かれます。そして時には死者との関係だったり、神仏との関係だったり、色んな関係があって、その関係の中に本当は私たちの生命世界があると繰り返されました。

そういう生命観をこれからもう一度回復していく必要があるのではないかと。

11月27日開催(設立2周年)

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