いのちを還す森

いのちを還す森 プロジェクト

「いのち」を還す所をイメージしていますか?

「おらぁ、死んだらあのお山の上にかえっから」

そう答えたのは陸前高田に暮らす木こりでした。
彼にとって「お山の上にかえる」ことは、当たり前に
「決まっていること」のようで、少し誇らしげにもみえました。

うらやましいなぁと思ったのです。

お山の上に、かえる。

なぜならそれは、彼の<いのち>がお山に通い、生き物たちに語り
木を伐り家を建て、また植えて山に祈り、そうして「お山」と
深く関わりあってきたこと、そのことによって、
「お山」にかえることが「許されている」そんな風にみえたからです。

山でも海でも、自分のいのちがかえる場所は「あそこ」なのだと
知っているひとが、どれだけいるでしょうか?

やがて「いのち」は風景のなかにとけて戻ってゆく

そもそも、「いのち」の居場所はどこにあるのでしょうか?
多くの人はいのちはここ、自分という個人だけの、唯一のものと考えがちです。

しかし、日本では、万物ー山や森や、あらゆる生き物たち、石ころ、それから技術や表現にさえもに「いのちが宿る」といいます。
本来、いのちは個人だけのものでなく、大きな自然と風土、ひとびとの営みの関係性の中にこそ存在するということを、私たちは良く知っている筈なのです。

<いのち>の存在を終えていくとき、私たちはその「いのち」を大きな自然の循環の環、つながりの中におくり返して欲しいと考えます。

近年の葬送にあるような、小さな場所に記憶を固定し、パッケージ化するようなお墓ではなくて、他の生き物に許されているような「循環の環」にかえり、次のいのちのための土壌となりたいのです。

「いのちを還す森」を共有する

一般財団ハヤチネンダは、寄付を受けて、遠野・附馬牛に位置する小さな里山の森を託されています。私たちは、この森を「いのちを還す森」として、仲間を集い、身体を使い、必要な手を入れながらゆるやかに共有していきます。
そして、いつか私たちのいのちが尽きたとき、この森に還りたい。私たちは、遠野の風土に学び、それぞれのいのちの物語を紡ぎながら、森をめぐる里山や、そこにつらなる田畑、馬たちの行き交う風景を次の世代へと渡すためのしくみを模索していきます。

特別な山、ハヤチネを望む

この森の小さな展望地から、ハヤチネを望むことができます。宮沢賢治が「銀河の森の中心」と詠んだハヤチネ(早池峰)は、遠野の人びとにとって特別な山です。
遠野の人びとは早池峰から流れ出る水のおかげで農業ができ、死んだらこの山にいくものと信じていたといいます。

展望地から望むハヤチネは、今も、柳田国男が遠野物語の序文に著したとおりの姿をしています。

附馬牛の谷へ越ゆれば 早池峯の山は淡く霞み
山の形は菅笠のごとく また片仮名のへの字に似たり

里山の美しい景観と、馬たち

現地パートナー、クイーンズメドウ・カントリーハウスのちいさな田んぼは、季節毎に、アカハライモリやモリアオガエル、不思議な菌類や昆虫など、たくさんの生き物を観察することができます。通常よりゆったりとったあぜ道は、腰を下ろすのに十分な広さがあり、ときに馬たちが通ることもあります。

遠野は古くから知られた馬産の地でした。ここでは、山と馬のつながりに人々の暮らしが紡がれることで、遠野らしい景観になってゆきます。

「終点」を新しい起点にして「いま」を豊かに生きる。

「いのちを還す森」プロジェクトでは、遠野・附馬牛のクイーンズメドウ・カントリーハウスを懐く里山で、自然や風土、歴史と繋がり学びながら、私たちの死生観について問い直し、あたらしい弔いの形を求めてゆきます。
誰にでも訪れる「死」があるからこそ輝く私たちの「いのち」。

「終点」を起点として、「いま」の物語を豊かに生きませんか?

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ハヤチネンダと一緒に、
いのちをめぐる旅に出ませんか?