コラム・インタビュー

コロナ禍と『いのちの場所』/内山節さんに聞く

Share facebook X
2020年6月10日
いのちの場所_書影

シリーズここで生きる『いのちの場所』
著者:内山 節 ( 2015/10/28、岩波書店)

ハヤチネンダが「いのちの在り処」について考えを深める上で大きな存在となった本があります。哲学者・内山節さんが書かれた『いのちの場所』です。

内山先生は本書の中で、本来、自分のいのちは自分のものだけでなく、自然や風土や、他者との関係のなかに存在するものではないか、と問いかけています。

このコロナ禍で、世界が分断を深めていくなか、いまわたしたちの「いのち」の在り処についてどう捉えたら良いのか、内山先生にお話を伺いました。

根源的に、ウイルスって明らかに関係の中で生きているんですよね。こっちから言えば感染ですけど、生きる世界を関係する中に作っている。たとえば、僕が感染して重症化して死んでしまったと。すると、僕の中に入ってきたウイルスは、そこで終わる、ウイルスも死んでしまうわけです。だけど、たぶんそれは<ウイルスの死>には全くならなくて、個別ではなく、全体としてウイルスの生命は続いているという、そういう生命世界を持っている。

蟻とか蜂も同じです。働き蟻たちの寿命はそんなに長くなくて、種類によっては数日と短かったりする。ところが、自分の巣の中の女王蟻が何らかの事情でいなくなると、働き蟻の中の一匹が女王蟻化するんです。女王蟻は年を越えて生きる存在で、蟻的にはすごい長寿なんですよね。たとえば働き蟻は働いただけで一週間で死んじゃうのに対して、2年とか3年とか生きる。・・人間の基準から言うと非常に不公平なことが起こります。それでも、女王蟻がいなくなれば、誰かが女王蟻になって、全体の生命を守っていくっていう、つまり全体としてひとつの生命なんですね。

蜂もおんなじようなことをやるんですけど、たぶん、生き物っていうのはみんなそんな生き方をしていると思います。狸でも狐でも、全体としてひとつの生命であるという面と、そこから現れている一匹一匹が、またそれぞれの生命であるみたいな、その両立の上に生きているといいますか。
人間も本当はおんなじであって、ぼくらもいろんな関係の中で生命の再生産をやっている。つまり、食べ物を食べるってこと自体がそうで、それは自然とも関係をするし、農民とも関係をするし、もちろん作物自体とも関係するわけです。

人間同士でも、人間関係の中でいろんな活動をすることによって、自分の生命を再生産しています。その全体のつながりあう生命自体が本物の生命であるという一面がある一方で、そこから現れてきている「ひとりひとり」っていう現象もまた一つの生命だと言えるんですね。だから二重な生命、<関係的生命>と個人の<個別の生命>みたいなものがあるんだけど、本質はたぶん<関係的生命>のほうにあるんです。

それは、ぼくが死んでも、世の中が無くなるわけではない、ということであり、だから本当は、そういう関係的生命の世界の中で、私はどういう風に生きようかっていう発想でなきゃいけない。だけど、近代は特に、人間たちは「私が、かけがいのないひとりです」みたいなことだけになっちゃったっていいますかね。

そういう中で、「関係的に生きている生命体のウイルス」が「個人に襲い掛かる」みたいに見えると、実に本質的な不気味さを感じてしまった。でもそれは、人間の思い違いが起こしている不気味さであって。
だから本当は、向こうも自然の生き物で、共同的世界の中に生命を持っているし、人間もまた同じである、そのことに気づきながら共存の方法を考えないといけない、でないと、本当の共存はできないんですね。

関係的な生命の世界に気づけず、個人だけの<いのち>にしてしまったために、死というのは怖いもの、嫌なものになってしまった。それなのに、人間は死んでいかなきゃいけないっていうことで、実にこう安定感のない、死生観の世界を作ってしまったという感じがしますね。

追記:
内山先生はこの談話の前後で、
「感染を止めることにばかり関心が行ってしまうのは良くない。ウイルス感染そのものは自然の営みの一部であり本来止めようがないからだ。けれども、私たち人間も社会を維持しなければならない。だから、医療崩壊を防ぐ必要があるのであって、「経済 vs 命」というような論調はおかしい。知恵を絞るべきなのは、どうやって社会を維持するのか、である」
というようなことを仰っていました。併せて記しておきます。

聞き手・文:赤池円/ハヤチネンダ
2020年5月某日 NPO法人森づくりフォーラム理事会に参加して


内山 節 (うちやま たかし)
哲学者
1970年代から東京と群馬県上野村の二重生活を続けながら、在野で、存在論、労働論、自然哲学、時間論において独自の思想を展開する。2016年3月まで立教大学21世紀社会デザイン研究科教授。著書に『新・幸福論 近現代の次に来るもの』『森にかよう道』『「里」という思想』『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』『戦争という仕事』『文明の災禍』ほか。2015年冬に『内山節著作集』全15巻が刊行されている。


関連記事

ページの先頭へ戻る

ハヤチネンダと一緒に、
いのちをめぐる旅に出ませんか?